那覇地方裁判所 平成5年(行ウ)15号 判決 1995年9月27日
沖縄県平良市字久貝一〇四一番地の二
平良住宅二棟二〇四号
原告
知念榮一
右訴訟代理人弁護士
池宮城紀夫
同
島袋勝也
沖縄県浦添市宮城五丁目六番一二号
被告
北那覇税務署長 赤嶺有功
右訴訟代理人弁護士
竹下勇夫
右指定代理人
松田昌
同
石井昇
同
屋良朝郎
同
宮里勝也
同
原田勝治
同
呉屋育子
同
大城守男
同
桃原仁
主文
一 被告が、原告に対し、平成四年八月一〇日付けでした平成二年分の贈与税の決定処分及び無申告加算税の賦課決定処分をいずれも取り消す。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
主文同旨
第二事案の概要
本件は、被告が、原告に対し、平成二年分の贈与税の決定処分等をしたことに対し、原告が、同年における贈与の事実がなかったことを主張して、その取消しを求めた事案である。
一 争いのない事実等
1 被告は、原告が、平成二年二月九日、別紙物件目録一記載の土地(以下「本件土地」という。)の贈与を受けたが、平成二年分の贈与税の申告をしなかったとして、平成四年八月一〇日付けで、課税価格を一五三二万八〇〇〇円、納付すべき税額を六四九万五四〇〇円とする平成二年分贈与税の決定処分及び九七万三五〇〇円の無申告加算税の賦課決定処分(以下、右二つの処分を併せて「本件各処分」という。)をした。
2 原告は、本件各処分を不服として、平成四年一〇月八日付けで、被告に対し、異議申立て(以下「本件異議申立て」という。)をしたところ、被告は、同年一二月二一日付けで右申立てを棄却する旨の決定をした。
3 そこで、原告は、平成五年一月二二日、本件各処分の取消しを求めて、国税不服審判所長に対し、審査請求(以下「本件審査請求」という。)をしたところ、同年六月二九日付けで、右審査請求を棄却する旨の裁決がされた。
4 ところで、那覇市首里鳥堀町五丁目一〇番、畑、五五七平方メートルの土地(以下「従前の土地」という。)について、一九六二年(昭和三七年)九月二一日付けで原告の長兄知念武次名義の所有権保存登記がされ、昭和六〇年一一月二二日付けで、本件土地と同目録二記載の土地(以下「一〇番二の土地」という。)に分筆登記された。
なお、右分筆当時、本件土地の地目は畑、地積は二四一平方メートル、一〇番二の土地の地目は畑、地積は三一六平方メートルであったが、本件土地については、平成二年一一月三一日、宅地二四一・三四平方メートルに、一〇番二の土地については、昭和六〇年一二月六日、宅地三一六・〇八平方メートルにそれぞれ更正登記された。
そして、本件土地について、平成二年二月九日、武次から原告に対し、昭和四一年五月八日付け贈与を原因とする所有権移転登記(那覇地方法務局平成二年二月九日受付第三七三四号。以下「本件登記」という。)がされた。
二 争点
本件土地の贈与の時期
1 原告の主張
原告は、昭和四一年五月八日に、武次から本件土地の贈与を受けており、本件贈与の時期を、原告への所有権移転登記手続がされた平成二年二月九日とした本件各処分は、事実を誤認するもので、違法である。
(一) 本件贈与及び覚書作成の経緯
原告は、昭和四〇年ころ、居住用建物を建築したいと考え、武次に相談したところ、同人から、その所有する従前の土地のうち、約八〇坪を贈与するので、同所に建築するよう勧められた。
原告は、従前の土地の一部に別紙物件目録三記載の建物(以下「本件建物」という。)を建築したが、その建築資金の融資を受ける際に、銀行員から、子供の代になって紛争にならないように、書面を作成した方がよいとの助言を受けた。
そこで、原告は、昭和四一年五月八日、武次との間で、武次を贈与者、原告を受贈者として、従前の土地のうち、約八〇坪を武次から原告に対し贈与する旨記載した書面(甲一号証。以下「覚書」という。)を作成した。
(二) 覚書の成立の真正について
覚書には、本土復帰前の琉球政府時代の収入印紙が貼付されており、その外形的、客観的な状態が相当の年数を経て薄茶色に変色していること等からも、右覚書は、作成日付ころに作成されたものであり、本件各処分後に、作為的に作成されたものでないことは明らかである。
また、武次は、前記不服審査手続において、覚書の署名が自筆であり、使用した印鑑が実印であることを明確に供述しており、その署名、押印は、武次が連帯保証人として署名、押印した金銭消費貸借契約証書(甲一〇号証)や印鑑登録証明書(甲一七号証)の印影と対照すれば、同一のものであることは明らかである。
なお、被告は、覚書は、製造者及び用紙番号が付されているはずの下端部分が不自然に切り取られており、その製造時期を確認できず、覚書の作成時期に疑問がある旨主張するが、その紙質や形状からすると罫紙ではなく事務用箋として販売されているものと思われるところ、事務用箋の場合は、用紙本体には番号等は付されておらず、罫紙であるとしても、用紙本体に付されているのはメーカー名と品番のみであり、これによって用紙が作成された時期を特定することはできない。
(三) 本件贈与部分の特定について
原告は、覚書に基づいて、本件土地上に本件建物を建築し、本件土地に相当する範囲にブロック塀等を設置するなどして同土地を支配管理してきたのであるから、昭和四一年の贈与の段階において、その範囲は特定されていたといえる。
(四) 本件登記が遅れた理由
原告が、本件土地について直ちに移転登記手続をしなかったのは、本土復帰前の沖縄においては、登記に対する意識は一般的に低く、原告は、建築した住宅について自己の所有権保存登記がされていれば十分であるとの認識しか有していなかったこと、原告が原告の次兄知念武よりも先に贈与を受けたことについて遠慮があり、昭和六〇年に武が武次から現在の一〇番二の土地に相当する土地について贈与を受け、分筆後、昭和六三年から平成二年にかけて移転登記手続を行ったことから、原告も、平成二年に本件登記手続を行ったものである。
また、本土復帰前の沖縄においては、相続税法が制定されていなかったので、相続や贈与による所得は、所得税法の適用を受け、一時所得として課税されることとなっていたが、昭和四一年当時、土地等の贈与による課税実績はほとんどなかった。
以上から、本件贈与があった昭和四一年当時、所有権移転登記手続をとらなかったことについて、原告に租税回避の違法、不当な意図、目的はなかった。
(五) 原告と武との贈与時期の相違について
武次は、武が、従前の土地に隣接する那覇市首里鳥堀町五丁目九番の土地(以下「九番の土地」という。)の一部に住居を新築することを認めたものの、その際、右住居の敷地部分は贈与しなかった。その理由は、武次自身、将来、九番の土地に住宅を新築する意思を有していたこと、武が建築した住宅が木造トタン葺の簡易な建物であったことから、両名の間で具体的な贈与の話までは進展しなかったからである。
その後、武次は、武から鉄筋コンクリートブロック造の堅固な建物を建築したいとの相談があったときに、従前の土地を本件土地と一〇番二の土地とに分筆し、右一〇番二の土地を武に贈与したものである。
原告は、昭和四二年に既に鉄筋コンクリート造の堅固な本件建物を建築していることからみても、その時点で、武次から本件土地を確定的に譲り受けたと認められ、武次から原告及び武への贈与の時期が異なることについて矛盾や不自然な点はない。
(六) 固定資産税及び分筆登記手続費用の負担
原告は、本件土地の贈与を受けた後、本件土地の名義人である武次に対し、昭和四二年一二月二五日に五ドル、昭和五二年一二月一五日に二万円、昭和五七年一二月一五日に二万円、昭和六二年一二月二五日に二万円、平成元年一二月三〇日に一万円をそれぞれ支払うことにより、本件土地の固定資産税を実質的に負担してきた。
また、従前の土地を、本件土地と一〇番二の土地に分筆登記する際の登記手続費用は、原告が負担した。
(七) 税務相談の状況
原告の妻知念文子は、本件贈与に関する税務相談のため、平成三年二月六日、平成四年四月三日及び同月六日、北那覇税務署に出頭した。そして、文子は、何か証拠書類があれば持ってくるようにとの相談担当職員の指示に従い、三度目の出頭の際には覚書を持参したところ、右職員は、文子が持参した書類の確認をすることなく相談を終了した。また、右税務相談においては、贈与者である武次に対する面接調査はされなかった。
(八) 異議調査の状況
本件異議申立ての調査を担当した北那覇税務署職員仲宗根玄隆は、武次宅を訪問して事情を聴取した際に、身分や来訪の趣旨、目的を十分説明しなかったため、武次は警戒心から事実をありのままに述べなかった。
また、右訪問の際に、その場で武次に自署させて、覚書の署名との同一性を確認したり、印鑑登録証明書を提出させ覚書の印影と照合する等必要な調査をしなかったことからしても、仲宗根の本件異議申立ての調査結果に関する供述は、信用できない。
2 被告の主張
本件贈与の時期は、所有権移転登記がされた平成二年であり、本件各処分は適法である。
(一) 覚書の信用性について
(1) 覚書は、以下の理由により、昭和四一年当時に作成されたものであるかは疑わしい。
<1> 覚書は、原本の下端の一部が不自然に切り取られており、その用紙が実際に昭和四一年以前に製造されたものであるかの検証が不能である。
<2> 沖縄が本土復帰する以前の文書及び一般人の年号表記は、西暦で表すことが普通であるが、覚書は、作成日付が昭和で表示されている。
<3> 兄弟間で作成された贈与の書面に琉球政府の印紙が貼付されているのは不自然である。
<4> 覚書は、本件異議申立ての段階で、初めて異議申立書に添付されて提出されたものである。すなわち、北那覇税務署は、原告が、本件土地の所有権移転登記の原因は、昭和四一年五月八日付け贈与としている事実を把握し、登記資料に基づき、原告に贈与税の納税相談をすべく呼び出したところ、文子が、平成三年二月六日及び平成四年四月三日の二回来署したが、その際、本件覚書の提示はなく、また、二度目の来署の際には、文子は、相談担当職員に対し、昭和四一年に贈与を受けた事実を証明できるものはない旨申し述べていたものである。
<5> 本件異議申立ての調査担当者仲宗根が、調査のため武次宅を訪問したところ、武次は、仲宗根に対し、覚書を作成した記憶はなく、見たこともないこと、覚書に押印されている印影は、自分のものかどうか分からないが、現時点ではそういう印鑑は持っていない旨申し述べた。
(2) 仮に、覚書が昭和四一年当時に作成されたとしても、次に述べる理由から、これが作成日に贈与をしたことを証する書面であるとはいい難い。
<1> 覚書は、土地の範囲について、「那覇市首里鳥堀町五丁目一〇番地の土地約八〇坪」と記載してあるのみであり、五丁目一〇番地の土地のどの部分であるか記載されておらず、また、場所を特定するための図面も添付されていないことから、その対象となる土地についての特定を欠くといわざるを得ない。そして、本件土地は、昭和六〇年一一年二二日に分筆する際に、初めて測量され、原告名義の本件土地は、二四一平方メートル(約七三坪)と測量された。もし、原告の主張するように昭和四一年に土地の範囲が特定されて、その時に贈与を受けたとすれば、昭和六〇年の時点で原告の土地は約七坪減少しており、この減少部分は、原告の主張のとおりであれば、原告から武に贈与されたということになるはずであるが、登記簿上は武次から武への贈与となっており、原告の主張と一致していない。
以上からすれば、昭和六〇年の分筆の際に、初めて武次から原告に対し贈与すべき本件土地の範囲が明確になったものといわざるを得ない。
<2> 覚書は、原告が本件建物を建築するに際して、銀行から融資を受けるに当たり、建物の占有権限を証するため、すなわち、武次が原告に対して本件土地を使用することを承諾したことを証するために、銀行提出用として作成されたものであり、原告主張のように、贈与を証明する目的で作成されたものではない。
(二) 登記が遅れた理由
原告は、昭和四一年に武次から贈与を受けたと主張するが、その時点で、分筆して原告名義に移転登記をすることは可能であったにもかかわらず、平成二年になって初めて移転登記されており、それまでの間、原告が名義変更しなかったことについて合理的な理由がない。
原告は、登記に対する認識が低かった旨主張するが、武次は、昭和三七年に従前の土地について所有権保存登記をしていること、原告は、昭和四二年に本件建物の所有権保存登記をし、昭和五三年には増築の登記をし、更に、本件建物について抵当権設定登記をしていること、文子は、本件建物を新築する際に、銀行員に対し、土地が原告名義でないと融資を受けられないかと尋ねていること等からしても、原告において、登記の必要性についての認識は十分あったものといえる。
(三) 原告の武との贈与時期の違いについて
武は、昭和四一年に、武次から同人所有の九番の土地の一部を借り受け、同所に建物を建築して居住していたところ、昭和六〇年ころ、武次から一〇番二の土地の贈与を受け、その後所有権移転登記をしている。もしも原告が昭和四一年に贈与を受けていたとすると、原告と武は、同じ時期に武次所有の土地に共に住居を新築したにもかかわらず、一方は武次から土地の贈与を受け、一方は武次から借地したこととなり、同じ兄弟間でこのような違いがあるのは不自然である。
(四) 固定資産税の負担について
原告は、武次に対し、本件土地の固定資産税相当額を支払っていたと主張し、領収証(甲四号証の一ないし五)を証拠として提出するが、右領収証の金額は、本件土地の固定資産税額と厳密には一致しておらず、また、兄弟間で、土地の所有名義はそのままにして、右のような領収証の授受をすることは極めて不自然であり、信用できない。
以上から、覚書が、昭和四一年当時に作成されていたことは相当に疑わしく、仮に、作成されていたとしても、これを直ちに贈与を証する書面と認めることはできず、本件土地の贈与の時期は、原告名義で所有権移転登記がされた平成二年二月九日と認めるべきである。
第三争点に対する判断
一 贈与税の課税時期
相続税法によれば、贈与により財産を取得した個人で、当該財産を取得した時において、同法の施行地に住所を有するものは贈与税を納める義務があり(同法一条の二第一号)、贈与により財産を取得した者が、その年中における贈与による財産の取得について、右規定に該当する者である場合においては、その者については、その年中において贈与により取得した財産の価額の合計額をもって贈与税の課税価額とするとされている(同法二一条の二第一項)。
したがって、贈与税の課税価格の算定に当たっては、贈与による財産の取得時期がいつであるかが問題となるところ、相続税法には取得時期について、特段の定めがなく、相続税基本通達(以下「基本通達」という。)において、贈与による財産取得の時期については、原則として、書面によるものについてはその契約の効力の発生した時、書面によらないものについてはその履行の時とされている(基本通達一・一の二共-七(二))。
また、特例として、所有権等の移転の登記又は登録の目的となる財産について、右の取扱いにより贈与の時期を判定する場合において、その贈与の時期が明確でないときは、特に反証のない限りその登記又は登録があった時に贈与があったものとして取り扱うものとするとされている(基本通達一・一の二共-一〇)。
右基本通達は、所有権等の移転の効力が発生した時をもって、贈与による財産取得の時期とする民法の物権変動の時期についての通説、判例の考え方を前提としながらも、贈与の性格、実態に照らし、一定の場合には所有権移転登記等がされた時期を財産取得の時期としているものである。
すなわち、書面によらない贈与は、その履行が終わるまでは各当事者においていつでもこれを取り消すことができ(民法五五〇条)、受贈者の地位は履行の終わるまでは不確定なものといわざるを得ず、贈与税の納税義務の成立時期を意思表示の合致の時(同法五四九条)とすると、いつ贈与契約が取り消されるかも知れず、いまだ確実な担税力を備えているとはいえない法律関係について課税が強制される結果になるという不合理があり、また、外形的に贈与の事実が把握し難いため、贈与税が有する相続税の補完的機能(相続税の回避を封じる)という性格が没却されかねないという不都合が生ずることになる。これらの点を考慮すれば、贈与税における財産の取得時期を、書面によらない贈与についてはその履行の時とし、贈与の時期が明確でないときは、特に反証のない限りその登記又は登録があった時に贈与があったものとして取り扱うとする基本通達の規定は、十分合理性があるというべきである。
二 前記争いのない事実等、甲一ないし三号証、四号証の一ないし五、五ないし一八号証、乙一ないし八号証、証人知念文子、同仲宗根玄隆及び同崎濱秀直の各証言並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
1 従前の土地及びその隣接地である九番の土地は、原告の父知念武勢が所有していたところ、昭和二〇年六月一六日、武勢が死亡し、武次が家督相続により右各土地の所有権を取得し、昭和三七年九月二一日付けでそれぞれ武次名義の所有権保存登記がされた。
2 武次は、九番の土地の一部に床面積約一〇坪の木造瓦葺の居宅を建て居住しており、従前の土地は畑として耕作し、使用していた。
3 武は、もと那覇市首里汀良町一丁目一六番地の一に居住していたところ、武次の承諾を受け、昭和四一年二月一〇日に、九番の土地の一部に床面積一〇坪弱の木造トタン葺の建物(未登記。以下「旧居宅」という。)を建築し、以後、同所に居住していた。
4 原告は、昭和三八年一〇月一五日、文子と結婚し(昭和三九年二月一九日届出)、那覇市首里赤田町二丁目七番地に居住していたところ、武次の承諾を得て、従前の土地の一部に住宅を新築することとした。
5 そして、原告は、昭和四二年一一月二二日、従前の土地のうち、道路に面した部分に、本件建物(増築前の平屋建のもの)を新築し(同年一二月一四日に原告名義の所有権保存登記)、同年一一月一五日に同所に転居し、以後、同所に居住していた。なお、本件建物の敷地の周囲の境界にはコンクリートブロックを二段積んで境界を明確にしていた。
6 原告は、本件建物の建築資金として、武次を連帯保証人として、琉球開発金融公社から、二五〇〇ドルを借り受け、本件建物完成後の昭和四二年一二月一二日付けで、金銭消費貸借契約証書を作成するとともに、右債務を担保するため、本件建物について、琉球開発金融公社を抵当権者とする抵当権設定契約をし、同月一四日、抵当権設定登記を経由した。
7 その後、原告は、昭和五三年二月一日ころ本件建物を増築した際、同月一六日、沖縄振興開発金融公庫から二七〇万円を借り受け、右債務を担保するため、本件建物に抵当権を設定し、同日付けで抵当権設定登記を経由し、また、同月二五日、琉球銀行から三〇〇万円を借り受け、同様に本件建物に抵当権を設定し、登記を経由した。
8 そして、従前の土地のうちの原告の敷地以外の部分に武が居宅を新築することとなり、武次は、昭和六〇年一一月二二日、従前の土地(五五七平方メートル)について、本件土地(二四一・三四平方メートル)と一〇番二の土地(三一六・〇八平方メートル)に分筆登記手続をした(以下「本件分筆」という。)。なお、一〇番二の土地は、道路側からみれば、本件土地の奥に位置するため、武の申し出により、車が通れるように通路を開けることとし、通路の部分を測量して、右部分を一〇番二の土地の一部として分筆した(甲六夏至、乙七号証)。
9 そして、本件分筆の際の測量等に要した八万円については、原告が負担した(甲八号証)。
10 武は、昭和六〇年一一月二五日、一〇番二の土地上に、別紙物件目録四記載の居宅(以下「新居宅」という。)を新築し(昭和六一年一月七日、武の長男知念武夫名義で所有権保存登記)、昭和六〇年一二月一日、九番の土地の旧居宅から同所に転居した。
11 そして、一〇番二の土地については、税務対策上の理由から、武、武の妻知念勝子及び武夫三名の共有名義にした上で、次のとおり、武次の持分を順次移転する方法で所有権移転登記手続がされた。
<1> 昭和六三年一二月二四日那覇地方法務局受付第三六六二二号
所有権一部移転登記
原因 昭和六三年一二月二三日 贈与
共有者 知念武 持分一〇分の一
知念勝子 持分一〇分の一
知念武夫 持分一〇分の一
<2> 平成元年一〇月二一日那覇地方法務局受付第三〇三〇〇号
知念武次持分一部移転登記
原因 平成元年一〇月二〇日 贈与
共有者 知念武 持分一〇〇分の一四
知念勝子 持分一〇〇分の一三
知念武夫 持分一〇〇分の一三
<3> 平成二年一〇月三〇日那覇地方法務局受付第二八七七八号
知念武次持分全部移転登記
原因 平成二年一〇月二九日 贈与
共有者 知念武 持分一〇〇分の一〇
知念勝子 持分一〇〇分の一〇
知念武夫 持分一〇〇分の一〇
12 その後、本件土地について、平成二年二月九日付けで、武次から原告に対し、昭和四一年五月八日付け贈与を原因とする本件登記がされた。
13 本件土地に係る固定資産税額は、昭和六三年度四八一三円、平成元年度五二九五円、平成二年度五三九八円、平成三年度六二一六円であり、右固定資産税は、平成二年度までは武次に、平成三年度からは原告にそれぞれ課税された。なお、原告は、武次に対し、昭和四二年一二月二五日に五ドル、昭和五二年一二月一五日に二万円、昭和五七年一二月一五日に二万円、昭和六二年一二月二五日に二万円、平成元年一二月三〇日に一万円を固定資産税分として支払い、武次から領収書を受けとった(甲四号証の一ないし五)。
14 被告は、原告が本件土地の所有権移転登記の原因を昭和四一年五月八日贈与としている事実を登記資料から把握し、原告に、贈与税の納税相談をすべく呼び出したところ、平成三年二月六日、文子が北那覇税務署を訪れ、原告が、二四年前に住宅を建築した時に武次から本件土地の贈与を受けた旨説明したので、相談担当の職員が、贈与を受けた事実を証明するものがなければ移転登記をした平成二年度に贈与税の申告をする必要があることを説明した。
15 原告がその後一年余り経過した後も贈与税の相談に来ることがなく、贈与税の申告もなかったことから、被告は、平成四年三月三〇日付けで、「贈与税の申告について」と題する書面(乙一号証)を送付し、平成四年四月六日までに納税することを促したところ、文子は、同月三日、再び北那覇税務署を訪れた。
そして、文子の弍度目の来署の際にも、同税務署の職員は、文子に対し、昭和四一年に贈与を受けたことを証明できるものがあれば用意して申告相談すること、それができなければ贈与税は、平成二年分として申告するよう再度指導した。
16 右指導にもかかわらず、原告が依然として本件土地について贈与税の申告をしなかったので、被告は、平成四年八月一〇日付けで本件各処分をし、原告は、右各処分を不服として、同年一〇月八日付けで、被告に対し、異議申立書に覚書を添付して本件異議申立てをした。
17 覚書には以下の内容が記載されており、その右上隅には琉球政府発行の三セントの収入印紙が貼付されている。
覚書
私所有の那覇市首里鳥堀町五丁目十番地の土地
約八〇坪を本日貴方に贈与いたします。
よって後日のためこの覚書をお渡しします。
昭和四壱年五月八日
贈与人 那覇市首里鳥堀町五丁目九番地
知念武次(印)
贈受人 那覇市首里赤田町二丁目七番地
知念榮一(印)
18 被告は、当時北那覇税務署個人課税第三部門(資産税担当)統轄国税調査官であった仲宗根玄隆の調査に基づき、平成四年一二月二一日付けで、本件異議申立てを棄却する旨の決定をしたところ、原告は、平成五年一月二二日、本件各処分の取消しを求めて、国税不服審判所長に対し、本件審査請求をしたところ、国税不服審判所長は、同年六月二九日付けで、右審査請求を棄却する旨の裁決をした。
三 以上の事実を前提に、争点について判断する。
1 覚書の信用性について
まず、本件贈与の直接証拠というべき覚書の信用性について検討するに、覚書の武次の署名、印影は、金銭消費貸借契約証書(甲一〇号証)の連帯保証人欄の同人の署名、印影と類似しており、印鑑登録証明書(甲一七号証)の印影と同一のものであると認められること、武次は、本件不服審査手続において、覚書の署名が自筆のものであり、使用した印鑑が実印であると述べていること(乙二号証)からすれば、覚書の武次の作成部分について、真正に成立したことが認められ、また、原告の署名、押印部分について成立の真正を疑わせる証拠はない。
そして、前記覚書の原本は、その形状等から、相当程度年数を経たものであることがうかがわれ、また、覚書の贈与の対象となる土地について、「五丁目十番地の土地約八〇坪」と表示されていることは、仮に、同書面が昭和六〇年の分筆後に作成されたものであるとすれば、本件土地の分筆後の地積二四一平方メートル(約七三坪)と表示するのが通常であると考えられることからしても、覚書の作成された時期が、右分筆よりも前であったことが推認できる。
また、原告が、武次の承諾を得て、昭和四二年に、鉄筋コンクリート造の堅固な本件建物を本件土地上に建築し、以後家族と共に居住して同土地を占有していることからすれば、武次において、原告が本件建物を建築することを承諾した時点で、本件土地に相当する部分を原告に譲渡する意思があったとしても不自然ではなく、前記認定のとおり、原告は、固定資産税額に相当する金員を武次に支払い、実質的に税金を負担していることや、本件分筆の際に測量等の費用を負担していることからすれば、原告において、本件土地は自らの所有地であるという認識があったものと認められる。
この点、文子は、覚書が作成された経緯について、原告が、本件建物を新築するに際し、資金借入れのために銀行と交渉している時に、担当の銀行員に、本件土地は、武次から贈与を受けたものである旨説明したところ、銀行員から、贈与を受けたのであれば、後々の紛争を防止するため書面を作った方がよいと言われ、武次に相談し、その承諾を得て作成したものである旨供述している。
以上からすれば、原告と武次との間で、本件土地上に本件建物を建築する際に、本件土地を確定的に原告に贈与することとなり、覚書は、右贈与の事実を証明するために、昭和四一年五月八日付けでそのころ作成されたものと認められる。
これに対し、被告は、覚書の作成時期について、覚書原本の下端の一部が不自然に切り取られており、原本の用紙が実際に昭和四一年以前に製造されたものであるか否かの検証が不能であること、覚書の作成日付の年号が昭和で表示されていること、兄弟間で作成された贈与の書面に琉球政府の収入印紙が貼付されているのは不自然であること、覚書は、異議申立時に初めて異議申立書に貼付されて提出されたものであり、納税相談の際には提出されていないこと、異議申立ての調査において、武次は、覚書の作成について記憶がないと述べていることを理由として、覚書が昭和四一年ころ作成されたとする点には疑いが残る旨主張する。
しかしながら、覚書原本の下端が短くなっていることをもって、直ちに用紙の製造年月日が不明確にされたものであり、作成時期が昭和四一年ころであることを疑わせるものであるとはいえないこと、年号の点についても、本土復帰以前にも必ずしも西暦を用いた年号表記だけでなく、昭和を用いた年号表記もされていたことが認められること(甲一四号証)、兄弟間の書面に琉球政府の収入印紙が貼付されているからといって、それが本土復帰以前に作成されたことを偽装するためにことさらにされたものであるとまでは推認できないこと、納税相談の際に覚書が提出されなかったことをもって、その当時覚書が存在していなかったとまではいえないことなどの理由から、いずれも覚書の作成時期を疑わせる事実とはなり得ない。
また、本件異議調査において、担当調査官仲宗根は、武次が覚書を見たことも作成したこともないと述べた旨聴取していることが認められるが(甲一六号証、乙八号証、仲宗根証言)、右仲宗根は、武次と面談した際、武次に自署させ、覚書の署名と対比したり、印鑑や印鑑登録証明書の有無を確認する等して、覚書の署名、印影の成立の真正について調査したことがうかがわれないこと、仲宗根の起案した異議決定書(甲一六号証)の理由部分には、「所有権の移転の登記又は登録の目的となる財産については、登記又は登録のあった時点で、贈与があったものとして取扱うこととしています。(相通1・1の2共-七(2))」との記載があるが、これは基本通達における書面による贈与と書面によらない贈与による取扱いの違いを無視した解釈であり、同人が、右解釈に従って、覚書の重要性を十分に認識せず調査を行った疑いがあることからすれば、覚書に関して武次から正確に聴取したか疑問があるといわざるを得ない。加えて、裁決書(乙二号証)によれば、武次は、本件審査請求の際に、国税不服審判所に対し、覚書の署名は自筆であり、使用した印鑑は実印である、また、覚書は、武次が、原告へ贈与した従前の土地の一部について、将来、所有権移転登記するために作成したものである旨述べていることからしても、仲宗根の本件異議申立てにおける調査結果の信用性は低いといわなければならない。
以上から、本件覚書の成立の真正、作成時期に関する被告の主張は採用できない。
2 本件土地の範囲の特定について
また、被告は、仮に、覚書が昭和四一年当時に作成されたとしても、覚書は、土地の範囲について特定を欠き、本件分筆の際に、初めて武次から原告に対し贈与すべき本件土地の範囲が明確になったものであること、覚書は、原告が銀行から融資を受けるに当たり、建物の占有権限を証するため、銀行に提出する目的で作成されたものであり、贈与を証明する目的で作成されたものではないことを理由として、覚書は、贈与を証明する書面とはいえない旨主張する。
しかしながら、覚書によれば、贈与の対象物件は、「那覇市首里鳥堀町五丁目十番地の土地約八〇坪」とされているところ、原告は、本件土地上に本件建物を建築し、現在の本件土地と一〇番二の土地の境界などの周囲にコンクリードブロックを二段積んで、その範囲を明確にして占有していたこと、そのことについて、原告は、武次から、異議を述べられたことがないこと、本件土地の地積が約七三坪であり、覚書の地積から約七坪減少しているのは、本件分筆の際、一〇番二の土地から道路への通行路として、原告が占有使用してきた部分の一部を一〇番二の土地に含めて分筆したことが原因であることからすれば、原告と武次の間では、本件分筆が行われる以前から、ほぼ本件土地に相当する部分を特定した上で贈与することの合意があったと認められ、覚書を作成した時点では、贈与の対象物件が不特定であり、本件分筆時点で初めてどの部分を贈与するかが明確になったとの被告の主張は採用できない。
そして、一般に、建物のみを担保として銀行から建築資金の融資を受けるには、土地の名義人の承諾書等によって借地権の存在を証明すれば足りるのであり、それにもかかわらず原告と武次の間で、贈与を内容とする覚書を作成していることからすれば、覚書は、その作成当時の当事者の意思をそのまま反映したものであると認められるのであり、たとえ覚書が融資を受ける際に、銀行に提出する目的で作成されたとしても、覚書が、当事者の真意に反していることにはならないのであるから、この点に関する被告の主張も採用できない。
3 武の借地との関係
また、被告は、原告と武は、ほぼ同時期に武次所有の隣接する土地に居宅を新築したにもかかわらず、一方の原告は武次から土地の贈与を受け、他方武は武次から借地したこととなり、同じ兄弟間でこのような違いがあるのは不自然であることから、昭和四一年に原告に対し本件土地の贈与があったとみるのは不自然である旨主張する。
しかしながら、前記認定のとおり、武が、昭和四一年二月一〇日、九番の土地に建てた旧居宅は、木造トタン葺の一〇坪弱の建物であり、武は、昭和六〇年一一月二五日に一〇番二の土地に新居宅(鉄筋コンクリートブロック造)を新築し、以後は同所に転居していること、また、武次と武との間では、贈与に関する書面が作成された形跡はないことからすれば、武が九番の土地に旧居宅を建てた時点では、武次と武の間で、旧居宅の敷地部分を贈与する合意はなかったことが推認される。これに対し、原告は、昭和四二年に本件土地上に鉄筋コンクリートブロック造の本件建物を建て、以後同所に居住していることに加え、前記認定のとおり、武次との間で贈与を証明する覚書を作成していたことからすれば、原告と武次との間で、贈与の時期が違っていたとしても、それが本件土地の原告への贈与時期を疑わしめることとはならない。
したがって、この点に関する被告の主張も採用できない。
4 名義変更が遅れたことについて
また、被告は、原告が、平成二年まで本件土地の名義変更をしなかったことについて合理的な理由はなく、昭和四一年当時贈与があったとみるのは不自然である旨主張する。
しかしながら、原告が、本件土地について名義変更をするには、従前の土地から本件土地を測量した上で分筆する必要があったこと、本件建物の建築について融資を受けるには、本件建物に、新築後抵当権を設定するだけで足りたこと、昭和四一年当時は、原告の自兄武は、武次から土地の贈与を受けていなかったことが認められる。そうすると、証人知念文子が供述するように、武は九番の土地に旧居宅を建てたものの、武次が右土地を武に贈与しない旨述べていたから、その弟である原告が、先に本件土地の贈与を受けた旨の登記をすることがはばかられたというのも十分考えられることで、本件贈与の時点において、原告が、従前の土地をあえて分筆して自己の名義に移転登記することなく、武次の名義にしたままで、そのかわりに武次との間で贈与を証明するため覚書を作成したとしても、あながち不自然とはいえず、右証言にあるように、武が、昭和六〇年一一月二五日に一〇番二の土地に新居宅を新築し、昭和六三年一二月二四日から右土地の所有権一部移転登記を始めたことから、原告も、武次の勧めもあって、平成二年二月九日に本件登記をしたという説明も首肯し得るものである。また、前記認定のとおり、原告は、武次に対し、固定資産税に相当する金額を支払っていた(被告は、甲四号証の一ないし五の領収証は、本件土地の固定資産税額と厳密には一致しておらず、また、兄弟間で、土地の所有名義はそのままにして、右のような領収証の授受をすることは不自然であると主張するが、右領収書の成立の真正を疑わせる事情は認められないこと、原告が、平成元年一二月三〇日に固定資産税代金として支払った金員(一万円)と右昭和六三年度及び平成元年度の固定資産税の合計額(一万〇一〇八円)は概ね一致していること(前回の支払いは昭和六二年一二月二五日)からすれば、原告は武次に対し、右金員を支払っていたと認められる。)。
加えて、本土復帰前の沖縄においては、贈与税の制度はなく、贈与による財産の取得については、所得税の一時所得の適用を受けるところ、昭和四二年に資産評価調査員規程が制定され、評価基準の作成作業が始まるまでは、不動産の評価基準はなく、不動産の一時所得についての課税実績がほとんどなかったことが認められる(崎濱証言)。したがって、昭和四一年当時、贈与による財産の取得における納税意識は一般的に低かったと推認されることからすれば、原告において、本件贈与当時に移転登記を直ちに行わなかったことに、租税回避の意図を認めることはできない。
以上から、この点に関する被告の主張も採用できない。
5 以上からすれば、昭和四一年ころ、原告と武次の間で、ほぼ本件土地に相当する部分について、武次から原告に贈与する旨の合意が成立し、右贈与を証明するため、同年五月八日付けで覚書が作成されたものと認められる。そうであれば、本件贈与は、基本通達にいうところの、書面による贈与であることとなるから、基本通達一・一の二共-七により、その契約の効力の発生したときである昭和四一年を財産の取得時期とすべきであり、同取得時期を平成二年とした被告の本件各処分は、いずれも誤りである。
四 結論
以上のとおり、本件各処分は違法であり、取消しを免れないので、原告の請求は理由があり、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 木村元昭 裁判官 近藤宏子 裁判官 村越一浩)
物件目録
一 所在 那覇市首里鳥堀町五丁目
地番 一〇番
地目 宅地
地積 二四一・三四平方メートル
二 所在 那覇市首里鳥堀町五丁目
地番 一〇番二
地目 宅地
地積 三一六・〇八平方メートル
三 所在 那覇市首里鳥堀町五丁目一〇番地
家屋番号 一〇番
種類 居宅
構造 鉄筋コンクリートブロック造陸屋根二階建
床面積 一階 六九・〇七平方メートル
二階 三七・七三平方メートル
四 所在 那覇市首里鳥堀町五丁目一〇番地二
家屋番号 一〇番二
種類 居宅
構造 鉄筋コンクリートブロック造陸屋根二階建
床面積 一階 八一・一五平方メートル
二階 五五・四四平方メートル